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「イナゴ」を食べて育った田舎娘の話

こんにちは、さくるです。

ちょっと思い出したので、書き留めておこうと思います。

タイトルにある「イナゴ」って知ってますか?

え?175R?と思ったあなたは同世代ですね。

え?あの食べ物でしょ?と思ったあなたは同郷か近い体験をした方でしょうか。

「イナゴ」とは、バッタのような昆虫で、大量発生しては、稲作を中心とした農作物に被害をもたら害虫とも位置づけられています。

そしてこのイナゴ。ある地方では甘露煮にして食べる文化があります。

それが私の故郷でした。

とはいえ、私の住んでいた街はそんなに田舎では無いと思ってます笑

昔は農家だったかもしれない程の、広い田んぼを所有してました。そのため、幼い頃から中学生くらいまではお米を作る手伝いをして育ちました。

当時の周りの友人達ですら、この経験をしている人はそんなにいないと思います。そのくらいの田舎レベルです。

話を戻しますね。

毎年、毎年、たまにサボりながら手伝っていたのですが、その流れはこんな感じです。

4月に祖母宅の庭で稲の苗を育てます。側溝の網の蓋のように長方形の穴に土を詰めて、種を撒きます。

黒いビニールを掛けたりしてました。そこである程度育てます。一般女性が手を開いて伸びた親指から小指までの長さくらいでしょうか。

よくみる田植えの風景で持っている苗が、そうやって完成するのです。

初夏、田起こし(機械で)された田園に、側溝から繋がる穴の蓋を開けて水を張ります。側溝に水を流すための小さな川は、小さいながらも溢れないように枯渇しないように水量を調整する装置(多分手動)が付いてます。

よくみる田植えの風景の、ぬかるんだ土の中必死に動く田園は、そうやって出来ます。

まぁ、ほとんどは機械で植えますが、端っこは上手く植えられないので、時々浮いていたりします。

そういう所を、人の手で植え直します。よくみる田植えの風景のように。

膝まではいかないものの、脛の間くらいまでは足を持っていかれるので、とても動きづらいです。そこまで水に浸かって歩きづらくなるのよりもずっと。なんせ長靴から足だけが抜けてしまうくらいなのですから。

そこからは、毎日のように朝、水の状態を見に行きます。それは私はしていませんでした。

でも時々近くを通るので、祖母が居るか見に行ったりしてました。

秋の収穫までの間、梅雨で水(側溝や田の水)が溢れてないか、日照りによる水不足がないか、台風により稲穂がなぎ倒されていないか、色んな天候に対応して、毎日しっかり確認しに行きます。

そうやって秋の稲刈りの日を迎えます。

ほとんど機械です。たまに鎌で刈ることもありますが…私は扱ったことはありません。強いていえば、学校の体験と称した授業で、一掴み分刈ったくらい。

機械で刈られた稲は、(大人の)両手で円を描くように掴むくらいの太さの束を作ります。確かほとんど機械がやっていたのですが、人の手で藁で縛ることもありました。

その稲の束を、作に掛けて天日干しします。

どのくらいだったかは忘れてしまいましたが、その天日干しが終わると、次は脱穀という作業が入ります。

脱穀は稲穂から、米の部分だけにする作業で、茎の部分は‪藁として集められ、また何かに使います。

藁は昔から様々な用途で使われてましたが、ここでは次の稲作のための肥料としていたと思います。集められた藁はふかふかで、その上に寝転んだこともあります。

温かいので少しするとネズミが潜り込んでいたこともありました。そのネズミは、父がちょうど歩いた足の下に出てきてしまったので…(ご想像にお任せします)ということもありました。

脱穀されたお米は、後に精米をすることで食卓に並べられるようになります。

あ、そうそう。お米の種類もありまして、普通に食べる白米は粳米(うるちまい)、お餅になる餅米(もちごめ)なのですが、両方作っていたので、年末には正月に向けてお餅を作ってました。

大量にという程でもないですが、結構な量を作っていたので、外で1升くらいかな、それを何度かに分けて火を起こして炊き、家の中で電動の餅つきで作ってました。

普通の白いお餅。平たく伸ばしてから切ると、よくみる四角形のあのお餅になり

つきたての熱々を白い粉をまぶしながら小さくちぎって丸くまあるく整えると鏡餅になります。

餅米と粳米を混ぜたお餅もあり、それは少し粒の残る食感と塩と青のりを入れたもの、ゴマを入れたもの、梅を入れたものなどそれぞれの味が楽しめるのです。

私は普通のお餅より、こちらが好きでした。

お米作りの流れはざっとこんな感じでした。

最初に話しましたあの「イナゴ」達は、稲刈り前の黄金色に輝く頃に、ぴょんぴょんと飛んでいるのです。

稲刈り前は、なんというかナウシカに出てきそうな風景な感じで、稲と稲の間を歩くとたっぷりと栄養を蓄えたであろう稲穂は頭を垂らしそれが体に当たるのでくすぐったかったなぁというのを覚えています。

頭を垂らした稲穂から稲穂へ、ぴょんぴょん飛び回るやつらを、軍手をした手で捕まえます。

さすがに素手では無理でした。(そもそも稲がチクチク当たるので、軍手必須。)

捕まえたら、祖母の腰に着けた再利用の米袋(ビニールを編んだ様な丈夫な袋)に入れます。逃げないように口は閉じていて、ある程度捕まえるとその袋の中で飛び跳ねているので、袋の中でポップコーンが弾けているように見えました。

その後は色々処理していると思うのですが、私が覚えているのは、息のあるうちに大きな鍋に入れられ蓋をされた所にコンロの火をつけたというシーンです。

生きたままカニを茹でる方がまだマシだなと、今でも思います。やっぱり鍋の中でポップコーンが弾けているような音がして…そうして少し経つと味付けされて、完成です。

お米作りとセットのようにイナゴの佃煮を作っていたようです。

小さい頃から慣れているものはあまり抵抗がないんですよね。普通に美味しかった記憶があります。

高校生になると、手伝いはしなくなっていき、あとは祖母の体力を考え、稲作から遠のいていきました。

大学へ進学すると、まるで別世界。田園はあるものの、触れる訳では無いので、稲が育つ過程を眺めては「あぁ、もうそんな時期か」と季節の移ろいを感じる程度。

進学先から考えると多分、もうあんなに稲作に関わることは無いんだろうなと思うように。

そして数年後、大学4.5年くらいでしょうか。都会に近い街での生活にどっぷり浸かりつつ、勉強に明け暮れていると、私の故郷を知る先生がこれ食べれるでしょ?と見せたタッパーの中身には懐かしの佃煮が。

一緒にいた都会生まれの友人は、明らかに「えー!虫!むりー!」という反応の中で、私は静かに「懐かしいな」と落ち着いてました。

とはいえ、もう何年も口にしていないので、食べる気にはなれず。

この瞬間「すっかり都会に慣れてしまった自分」になっていることに気づきました。

それからもう10年。

「イナゴ」を食べて育った田舎娘は大人になりましたが、こうして思い返してみると感慨深くなりますね。

多分「イナゴ」はもう食べないというか食べられないけど、この経験はとっておきたいと思い、書き留めてみました。

それでは。

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